母が生まれた日

残暑お見舞い申し上げます。

 

あづい・・・。

京都に来て初めての夏。あづい、あづい、あづい。

思考能力が低下します。

少し長めの夏休みを頂きましたが、良い充電期間となりました。

お待たせしているオーダーがたくさんあって大変申し訳ないのですが、本当に休まずにはいられませんでした。

まだまだ酷暑は続くようですが、今度は秋冬に向けて履いて頂けるようプレーンシューズやカジュアルシューズ、ブーツと順に製作を進めます。

 

今日は母の誕生日でした。

長崎に原爆が落とされた正にその日です。

あの一瞬の光と共に多くの命が亡くなり、そして同時に母は新しい生を疎開先の福井で享けたのです。

祈りが込み上げます。

未熟児であったが為に、お産婆さんが諦めて毛布に包んで捨ててしまおうとしたのを祖母が必死にお願いして育てたそうです。

充分な食事も摂れず母乳もあまり出なかったそうですが、母がこうして71歳を迎えたことに感謝です。

 

認知症を患っている母は、あまり大切ではないことは一つまた一つと忘れて行って、楽しかった子供の頃の思い出話が増えています。

シアワセなことなのかも知れません。

共に暮らすと色んなことがあって、もうそれはそれは修行のような日々ですが(笑)、息子が幼かった時をふと思い出して、この大変さはきっとかけがえのない時間なのだと気付きました。

いつ終わるのかも分からず、そしてずっと続くことでもないのです。

その曖昧さに向き合いつつ、母との時間にも限りがあるのだと、そんなことをふと。

 

歩く速度が私の10分の1なので、どこに行くにも時間が掛かり、しばらく歩いては後ろを振り返り母が着いて来ていることを確認し、しばらく待ってまた歩く。

母の歩幅に合わせて歩くことはとても難しいのです。

でも、祇園祭りの時には人混みの中を手を繋いで歩きました。

はぐれてしまう不安からか、母が子供の様に見えました。不思議な感覚でした。

その歩みの遅さ故メインの長刀鉾まではとてもとても辿り着けず、月鉾をゆっくり見学して、喫茶店で休憩。

やりたいことが充分に出来ず、もちろんフラストレーションは溜まりますが、片目をつむってレモンティーを啜る母の横顔を見て、何かもうイイや・・・と苦笑しました。

これでいいんだろうな、と。

 

常に穏やかに優しく接するなんてほぼほぼ不可能なのですが(笑)、歩く度に振り帰ることが段々と癖になり、いつの日か母が着いて来ていないことに寂しさを覚えて後悔することが無いように。

ただそれだけを、時々忘れないように。